鉱山の歴史

History02

ふぉれすと鉱山のあゆみ

鉱山地区と市民のあゆみ

1988年「ふるさと創生会議」が誕生
その後、「いきいき人とまち推進会議」となり、6つの部会が設置される 
1990年9月上記会議内に設置された「自然と生活の調和部会」会議が開始
「鉱山地区を原点として登別の自然と生活との調和」を考えるテーマに絞り、 話し合いが継続されていく。
1995年3月「いきいきした人 いきいきしたまち こんなまちにしたい提言書」としてまとめられる。
1996年登別市総合計画第1期基本計画(1996~2005年度)策定
*「人と自然のふれあい拠点の形成」が主要な施策のひとつへ
* 自然に親しむ拠点施設として宿泊研修機能を備えたネイチャーセンターを建設計画(第1期基本計画第3編第2章1節2より)
*以降、『人と自然のふれあい拠点整備事業』として鉱山地区の整備のあり方やネイチャーセンターの基本プランが「市民懇話会」で検討されていく。
1998年7月『人と自然のふれあい拠点の形成』に係わる市民懇話会を設置
1999年6月「人と自然のふれあい拠点づくりに向けた中間提言」提出
1999年地域総合整備事業債のふるさとづくり事業として自治省の承認を受け設計競技により基本設計に着手
2000年4月ネイチャーセンターの建設に関し議会に特別委員会が設置され、施設の機能や事業費の圧縮などについて論議がされる
2001年7月ネイチャーセンター建設工事着工、本格的に始まる。
2001年11月運営計画策定
2002年4月登別市ネイチャーセンターふぉれすと鉱山・オープン
2002年9月「地元の人材による活動サポートが必要」として、市民団体「登別市ネイチャーセンター支援組織モモンガくらぶ」(現・NPO法人登別自然活動支援組織モモンガくらぶ)設立
2003年3月ふぉれすと鉱山主催による「ふぉれすと鉱山利用者会議」が行われる。運営に市民の意見を反映するものとして以降、毎年開催される。
2007年4月NPO法人登別自然活動支援組織モモンガくらぶが指定管理者としてセンターの指定管理委託、運営開始

 あらまし

市民による市民のためのネイチャーセンター運営に向けて
センター開設当初は、登別市ネイチャーセンターは社会教育施設として登別市教育委員会社会教育グループが管理運営し、センタースタッフ以外に市民懇話会の意志を継ぐ市民団体「NPO法人登別自然活動支援組織モモンガくらぶ」、そして専門NPOの3者協働により運営されてきた。

 この体制は、
「地元の人材が育つまでの間、専門的機関からの人材派遣を得るとともに、ボランティアレンジャーの協力を得て運営したい。また、この運営を通じてレンジャーを育て、できるだけ早い時期に自主運営に移行できるよう努めてまいりたい」
 という行政の意向を受けたものでした。

以降、地方自治法改正により、指定管理者制度が導入されたことにより、2007年度より本制度を利用し運営がされています。(指定管理者:NPO法人登別自然活動支援組織モモンガくらぶ)

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